当院の位置する平塚は、古くから続く街道の宿場町です。古来、鎌倉と京の往来は、海路で国府津や大磯に上陸し、そこから陸路で関東平野へ入るのが常でした。平塚宿はその中継の地として、また相模湾沿岸の交易の拠点として発展してきました。
当院は、鎌倉時代初期の建久三年(1192年)に、京都・東寺から鎌倉の鶴岡八幡宮寺(現在の鶴岡八幡宮)に下向した学問僧によって開かれたと伝えられます。以来八百年あまり、この平塚の地で、祈りを続けてまいりました。
当院は、山号を福生山(ふくしょうざん)、寺号を能満寺(のうまんじ)、院号を宝善院(ほうぜんいん)と申します。いずれも、戦国時代の末から太平洋戦争までのあいだ当院に祀られていた虚空蔵菩薩に由来する名と考えられています。
虚空蔵菩薩は、手に如意宝珠(にょいほうじゅ)——思いのままにどんな願いも満たし、尽きることのない福徳を生み出すと説かれる、宝の珠——を捧げ持つ仏さまです。「福が生まれる山」(福生山)、「善き宝を授かる寺」(宝善院)、そして「どんな望みも満たす」(能満寺)——三つの名は、いずれもこの如意宝珠の功徳に通じています。
平塚は戦国時代、小田原城主・後北条氏(鎌倉幕府の北条氏ではなく、北条早雲を祖とする北条家)の領地でした。天正十八年(1590年)の小田原合戦で豊臣秀吉に敗れると、小田原城最後の城主・北条氏直公の守り本尊であった虚空蔵菩薩が、家臣の手によって当山に納められたと伝わります。この虚空蔵菩薩は、一尺六寸(約48センチ)の立像の木仏で、行基(668〜749年)、あるいは定朝(〜1057年)の作と伝えられ、長く秘仏として祀られてきました。このときの戦死者を弔うために建てられた宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、現在も当院境内に残されています。
江戸時代には、東海道平塚宿の本陣の菩提寺として、大いに発展したと伝えられます。貞享元年(1684年・徳川五代将軍綱吉代)には、当院中興の聖全法印が堂宇を再建したと伝えられています。寛政十二年(1800年)頃に描かれた東海道分間延絵図には、宿場の中心地である本陣の眼の前に、その頃の当院の様子が描かれています。
昭和二十年(1945年)七月、平塚は大規模な空襲に見舞われ、当院も本堂をはじめ諸堂のことごとくを焼失しました。虚空蔵菩薩をお祀りしていた虚空蔵堂も、このとき失われています。留守を預かっていた当時の住職の妻が、過去帳とまだ赤子であった次代の住職だけを抱えて戦火を逃れ、大磯とのあいだを流れる川の橋の下で夜を明かし、なんとか難を逃れました。
戦後、焼け跡から、寺は少しずつ再び築かれました。京都よりお迎えした不動明王を新たな御本尊とし、本堂が再建され、客殿・庫裏が整えられて、今日の姿となりました。あの日、火の中から運び出された過去帳とともに、当院は八百年の祈りを、今も絶やすことなく続けています。
当院ご本尊は、鎌倉幕府三代将軍・源実朝公の正室、西八条禅尼(法名・本覚尼)の念持仏と伝えられる不動明王です。
西八条禅尼は、夫の源実朝公が鶴岡八幡宮で暗殺されたのちに出家し、京都に遍照心院(現・大通寺)を建立されました。そして、夫の菩提を弔うため、この不動明王さまをお祀りされたと伝えられています。当院が太平洋戦争の空襲で全焼してよりのち、京都よりお迎えし、当院の御本尊さまとなられました。
このような力強いお姿から、不動明王は古くより厄除け・所願成就の仏として信仰されてきました。当院でも、みなさまが「善き宝(幸せ)」を得られるよう、私たちをお見守りくださっています。
ご真言
不動明王慈救呪
ノウマク サンマンダ バザラダン センダ
マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン
当山の本山は、五重塔で知られる京都の東寺(教王護国寺)です。弘仁十四年(823年)、弘法大師空海は嵯峨天皇より東寺を賜り、真言宗一山の根本道場と定められました。
嵯峨天皇は東寺を弘法大師に授けられる折、「代々の国王をもって我が寺の檀越(だんおつ)となせ」との御起請文を下されたと伝わります。明治時代に各派が分離独立するまで、東寺は全国の真言宗寺院を統括する、真言宗の歴史的な総本山でした。
今も毎年正月には真言宗各派の僧侶が東寺に集い、国の安泰を祈る大法要(後七日御修法)が営まれています。
真言宗では、この宇宙のすべてを貫く大いなる働きを「大日如来」と呼びます。私たちを含む万物は、大日如来の現れにほかなりません。
手に印を結び(身密)、口に真言を唱え(口密)、心を仏に重ねる(意密)——この三密の行をとおして、この身このままで仏の境地に至る「即身成仏」を説くのが真言密教です。
その教えは遠くインドに生まれ、シルクロードを経て唐の都・長安に伝わり、今より千二百年の昔、弘法大師によって日本へもたらされました。
弘法大師が唐で学んだ一行(いちぎょう)阿闍梨は、当時の天文学を大成した学者でもありました。弘法大師ご自身も、わが国最初のため池式ダムといわれる讃岐・満濃池(まんのういけ)の改修を手がけられています。真言密教は、祈りの宗教であると同時に、その時代の最先端の学知をも併せ持つものでした。
四季の節目と毎月の御縁日に、祈りの法要を営んでいます。檀信徒の方はもちろん、どなたでもお参りいただけます。日程は年によって前後することがありますので、詳しくはお知らせをご覧ください。
お彼岸はお墓にお参りをして、ご縁の聖霊にご供養する季節です。どうぞみなさまでお参りください。
盆の入りに精霊をお迎えし、盆明けにお送りする法要。ご先祖とともに過ごす、夏のご供養です。
春と同じく、ご先祖へのご供養を行う季節です。墓前にて、移り変わる季節を感じつつ、お手合わせください。
弘法大師のご縁日にあたる毎月二十一日は、地下霊場を開扉いたします。どなたでもお参りいただけます。

境内でお配りしているもの
二つ折りのご案内です。境内のみどころを一枚に描いた探索マップ、本堂と内陣のご紹介、平塚宿とのゆかり、道のりと駐車場のご案内を載せております。ご自由に印刷して、お参りのお供にお使いください。
お墓のこと、ご供養のこと、仏事の作法のこと。「こんなことを聞いてもいいのかな?」ということこそ、どうぞそのままお寄せください。