− 事 務 局 便 り −
刊行会代表 松下 隆洪



 今号の発刊が遅れ、関係の皆様にご迷惑をお掛けしました。特に劉玉新先生にはいろいろとご心配をお掛けしました。実は小会の翻訳作業グループのメンバーの一人でした、加藤宥英師(神奈川県大井町最明寺住職)が、平成9年7月13日、61歳という若さで急逝されました。
 昨年6月には一緒に魚山を訪問し、本年3月には元気に箱根湖畔で山東省からの友人を迎えた歓迎会の席上でも、老酒のいきよいも手伝って、談論風発深夜におよぶ元気だった師の、余りにも急な死で私も正直、しばらくこの仕事が手につきませんでした。その後の葬儀、埋葬、会報発刊について彼が担当していた部分の引継ぎなどが続き、だいぶ遅れましたが、中国の友人からの心温まるお悔やみ、激励の手紙を頂き、ようやく発刊に至りました。今号の翻訳代表を加藤宥英師とし、彼の中国文学研究の墓碑銘とさせていただきます。
 加藤宥英師は、私の30年に及ぶ親友でもありました。
 師は昭和12年5月1日、加藤宥雄、喜代子の次男として最明寺に出生。昭和22年7月、15歳で最明寺38世宥雄の弟子となり、昭和38年東洋大学大学院中国哲学科を卒業後、大学研究室へ残るよう強く慰留されたのですが、家庭の事情で京都・洛南高校に奉職。昭和54年3月、名刹・最明寺の39世住職に晋山、以後18年間にわたり最明寺の護寺に勤められ、享年61歳で他界されました。


宥英師(左)の絶筆と松下隆洪宝善院住職
 於山東省東阿県図書館
 宥英師と私は同じ県内にすむ同宗の人間として法要などでお逢いすることも多く、また、数度、中国へも一緒に旅行をし、なぜか彼とは相部屋でした。
 昨年魚山を訪問しました時にも、旅行中相部屋でしたので、随分いろいろな話をしました。その時、「この旅行に家族や医者が反対していたが、自分は例え死んでもいいから行ってくると言って、出てきた」と笑いながら言っておられたのを思い出します。
 病気は癌でしたので、それを知るご家族が止めるのは当たり前だったのですが、今にして思えば、師は、曹植の文学というより、曹植のその「生涯」を好んでいたように思えます。大学に残り、学究生活に入っていればもっと長生きできたであろうし、天命とは言え、徒労に終わる日常的苦労が彼の寿命を縮めたとしか思えません。
 奇しくも、本号所載の曹植の詩『薤露行(かいろこう)』は宥英師への挽歌でもあったる感がします。宥英師は結局、「王佐の才を懐き(いだき)」ながら、「逕寸の翰を騁(けいすんのふでをてい)」することもなく、山東省東阿県の雲と消えてしまいました。元気になったら一緒に午頭(ごず)天皇の故郷を、中央アジアに訪ねる約束をしていたのですが、誠に残念です。  冥福を祈ります。




 平成8年6月、山東省魚山で劉玉新先生とお約束した事が、ようやく一年半かけて実現しました。『東阿賓館』で初めてお会いした時の印象は、何となく気難しそうな学者タイプの先生と思っていたのですが、それから一年間お手紙のやり取りをして、魚山復興にかける先生のなみなみならぬ決意を知りました。
 失礼ですが、現在の“改革開放” “金権至上主義”の中国では、このような文化事業に(それも北京を遠く離れた山東省で)携わる事は決して社会的成功者の道ではありません。にもかかわらずこのような事業に取り組まれ、その生涯をかけられておられるには、それなりの深い理由があろうかと思います。
 その理由が何なのかは私はまだ本当の所をお伺いしておらないのですが、考えられる第一の理由は曹植の生涯にその秘密があろうかと思います。曹植はある意味では、“改革開放”以前の中国知識人を象徴してるとも言えましょう。特に“文化大革命”の中での中国知識人の運命は、住む所さえままならなかった曹植の生涯にオーバーラップさせます。
 文革は中国社会の発展を五十年とも、百年とも遅らせたとよく言われますが、中国六千年の歴史のなかでは、ほんの数秒の事であったとも言えます。しかし、あのような過酷な思想闘争を一国家内でもった民族は、余り例がありません。そのような思想圧殺の歴史があればこそ、新しいエネルギーも生まれてくるとも言えます。それは、本書の中で、はからずも劉玉新先生が、「曹植の優れた文学は彼の過酷の人生があったればこそ、生まれた」と言っておられる事と相似します。ともあれこれらの感想は、外国人からみた偏見であり、ほんとのところは分かりません。
 いずれにしても、曹植という中国文学史上、不出世の大偉人について、現地でその墓陵の発掘・管理・整備まで自らの手で、手掛けておられる数少ない中国人の論文です。遠く北京の書斎で、爪も汚さず評論している、学者の論文とは迫力が違います。
 翻訳・刊行に当たり、
1、 原書中に多くの詩文が挿入されていますが、本書では、その意訳、あるいは書き下し文を掲載するにとどめました。詩文原文の研究には、『中国詩人選集』などの専門書を参考にしてください。
2、 著者の劉玉新先生からは貴重な資料写真など多くの提供を受けました。この場を借りて、心より感謝申し上げます。
3、 大谷大学の岩田先生には、ご多用の中無理なお願いをお引き受け頂き感謝します。実は、中国国内には日本語版の魚山の説明書がありません。そこで本書が中国現地で日本人用のガイドブックになればと考えています。その場合どうしても日本の声明についての解説が必要なため岩田先生にお願いしたしだいです。
4、 翻訳資料の収集に当たり、種智院大学々生、安藤篤彦君の協力に感謝します。
5、 日本と中国の長い歴史の中で、多少なりとも本書が今後の両国の友好に役立つ事ができれば望外の幸せと考えます。