日本語版への序文
 曹植を敬慕した高粛(蘭陵王)
中国 邯鄲市 馬忠理
邯鄲市文物処研究員
河北省文物考古学会理事
磁州窯研究会副会長
城北朝史学研究会々長

 『蘭陵王入陣曲』は、北斉・河清三年(紀元564年)に創作された北斉の文武全備の青年大将・蘭陵王・高粛を賛歌する舞曲である。
 本舞曲は唐代に日本に伝えられてから、現在まで、すでに千年以上も経っているが、今なお日本で流布し、中国・日本との友好的な文化交流における素晴らしい楽章となっている。
 ところが、本舞曲の源流、及び日本での流伝過程については、日本、フランス、中国など内外学者のあいだに疑問があり、異なる意見と観点がある。そこで私は本論文を執筆し、自分の未熟な観点を発表することにした。
 本論文は、1992年、第3回『環渤海考古国際学術討論会』で発表したものである。また「92年度城北朝史学会年会」において、私が提出した論文の一つでもある。1993年私は本論文を日本の友人・西田守夫先生に贈ってご指摘を求めた。その後西田先生は中国史研究をなさっている日本の専門家及び、教授諸師にも本論文を推薦してくださり、日本語に訳そうとされたのだが、結局かなわなかったものである。
 今回、日本の『立正大学仏教学部』で研修されていた『曲阜中国国際旅行社』社長の魏廣平先生の紹介により、宝善院住職・松下隆洪先生の大変なご協力をいただき、ようやく日本語に翻訳し、『東寺真言宗声明大全刊行会』の研究会々報に掲載していただくことに至った。
 ここで、これまで私にご厚意を下さった刊行会会員の皆様に対し、熱く御礼申し上げます。
 『東寺真言宗声明大全刊行会』は中国の建安才子−曹植の魚山作曲についての研究会であると聞いている。曹植はわが研究会の故郷である都で、彼の英気と文才をはぐくんだ青年時代を過ごし、沢山の有名な詩賦と物語を遺してくれた。蘭陵王高粛は曹植ゆかりの都に生まれ、都で育てられ、死後も都に身を埋めた。曹植と蘭陵王の二人は、それぞれ優れた才能を持ち、世間の尊敬を得た。後輩の蘭陵王は死後、彼の墓の碑文に「五言詩」を弟によって書かれた。その第二句には「魚山の樹木は郁々し日々伸びて西へ傾いている」と賢人曹植に対する限りない敬慕の旨を述懐している。これは今、実に我々の心情をあらわしているといえよう。
 本論文が貴会研究誌に掲載されることにより、今後皆様がもっと良い研究成果をあげられることを期待します。今後も皆様との共同研究を通じ、多くの研究成果をあげ、相互に活発な学術交流活動が行われることを心から願っております。
                                                      1997年4月5日