− 真言宗中国開教史(二) −
真言宗布教制度の確立と日清戦争・従軍僧
松下隆洪(平塚市 宝善院住職)


■ 開戦前夜の真言教団 ■

 日清戦争が始まろうとしていた。 中国大陸へはじめて日本仏教を逆輸入しようとした豊後の勤王僧・小栗栖香頂から数えて二一年め(前号参照)、真言宗教団がはじめて近代中国と、世界を「体験」したのは、明治二十七年、西暦1894年、日清戦争からである。極東の島国で、だいたい平和にすごしてきた真言教団の、命がけの世界体験がこうして始まった。それは昭和二十年八月十五日・大東亜戦争敗戦に至る、真言宗の、長い、長い旅路の出発でもあった。

 しかしこの戦争は、教団人にとって開戦前夜、後世いわれる程にも、それほど熱狂的にも、彼らの前に現れたわけではなかった。当時、真言宗からは『密厳教報』(主として新義系)、『伝燈』(主として古義系)、『同学』、『十善宝窟』などの機関紙・誌が発行されていた。

 朝鮮半島の暗雲が『密厳教報』誌上に初めて報じられたのは、開戦十日ほど前の明治二七年七月十二日、第一一五号が筆者の初見である。(開戦は明治二十七年七月二十五日)次の一一六号にも数行記事がみえる。しかしそれらは事件の経過を簡単に伝えるのみで、この戦争をどうしようなどという論評は全くない。教団人にも、庶民にも戦争はまだ、遠い、遠い海の向こうの出来事だった。

  (*日清戦争 明治27(1894)年7月25日〜明治28年11月30日。朝鮮半島をめぐる日本と清国の戦争。.戦場は朝鮮半島、満州、黄海で、戦争は日本が勝利した。)