− 東寺伝法学院 開校式祝辞 −
平成10年4月10日  宗議会 議長 松下隆洪


 まずもって、新入学院生の諸君、そしてご父兄の皆様へ、東寺真言宗の宗議会を代表し、 ご入学のお祝いを申し上げます。
 ご父兄の中には、わずか5名の新入生をもって出発した、本学院に一抹の不安を抱 かれるやも知れませんが、そのようなご心配は全く無用であり、わが学院の前途は誠に前途洋々たるものがあると申し上げます。1917年、北京大学が初めて中国に開校した時、 あの広い中国からはせ参じた学生はたったの3名でありました。数の少なさを嘆き悲しむ教授達を前にして、初代学長であられた、蔡元培先生は「海のものとも、山のものとも分からぬこの学校に3名もの学生がきてくれた」と喜んだことがあります。学問は量ではなくその質であります。
 さて、新入生の諸君には、『東寺伝法学院・第1期生』として、入学されたお祝いを申し上げると同時に、宗団が諸君に期待するものは、誠に大であることを申し添えます。諸君は新しくできたこの学院において、一年間、東寺真言宗の僧侶として、自利利他の極意を学ぶのでありますが、その学窓において強く希望することは、なまじ要領のよい人間となるより、愚鈍でも良いから、強い信念を育てていただきたいと思うものです。
 軽薄を友とし、浮薄を友情と思うような人間には、決してなってはならないと言うことであります。 宗教家が最終的に問われるものは、世間で言うところの、いわゆる「友達の輪」ではなく、最終的にはその信念の重さであります。
 翻ってこの国の現状を見るとき、まさに「国敗れて山河有り」どころか、その山河さえも無くなりつつある、まさに国家・民族存亡の時代、これが本当のわが国の敗戦ともいうべき現状であります。 限りなく腐敗した国家官僚機構と、利権をあさる政治家、その腐敗を利用して利益をむさぼる金融機関、これらを助ける学問の輩、この国はまさに今、民族存亡の時代に有ると言っても過言ではありません。最近の国政選挙における投票率の低下は、民主々義の危機をとおりすぎて、すでに国民が国家に対してあらゆる期待を抱かなくなった証拠であるともいえます。
 このような時代に生きる宗教家は、何をなし、何をなすべきでないのか、この一年間諸君はじっくりと考えていただきたい。そのためにこそ宗団は多くの困難を乗り越え、資財を投じ、あなた方にこの場を作ったのであります。日々学ぶ「宗乗」はこの命題にたどり着くためのきっかけであって、目的ではないのであります。この点は是非誤解がないようにしていただきたい。
 宗団があなた方に期待する事は、諸君が所属する本宗団の中にあっても、物知り顔のお愛想のよい僧になってほしいのではなく、 信念を持った僧になってほしい、まさにこの一点にあります。諸君の一年間の研鑽を大いに期待し、本日の慶事について宗議会を代表し、一言ご挨拶申し上げました。本日は誠におめでとうございます。